2013年御翼6月号その3

井上成美と聖書

  

旧日本帝国海軍の最後の海軍大将・井上成美は、戦時中から聖書を読んでおられた。ネットで、「井上成美」「聖書」で検索すると、二つの論文がヒットした。一つは国立音楽大学・助教授の横田エベリンによる「井上成美の人生観における聖書とキリスト教思想の影響」、もう一つは、群馬大学教養部英語研究室の一柳(いちやなぎ)高明氏(兵学校75期)による「人と思想研究―井上成美と聖書―」であった。早速、国会図書館に行き、論文を複写してもらったが、国立音大の方は英文であった。以下は、群馬大の論文からである。


 井上成美の英、和文聖書及び讃美歌には、合せて数百にのぼる傍線、記号、書き入れ等があった。特に、英語の書き込みがあり、キリスト教の特殊用語までがごく自然に英語で書かれていた。これは、戦後にわかに、聖書に関心を持ち、その研究がなされたのではなく、ごく若い頃、英語と密接に結びついて、聖書の研究が英語を媒体として導入されたことがある事を暗示している。英人もしくは米人の、聖書をよく用いるプロテスタントの宣教師又は篤信の信者との接触、指導があったことは殆ど疑いの余地がないものと認められた。そして、戦後は、ある特定の米海軍士官がしばしば井上成美を訪問していたので、米海軍基地内のチャペルでの礼拝、あるいは聖書研究に出席することもできたはずである。
 同期の木幡 行(こはた つよし)はクリスチャンで、二人の間では、互いの信仰を励ますような内容の年賀状が残っている。行氏の三男が、やはり75期であることを知った一柳氏は、三男に依頼して、母親が何か井上さんについて知っていないか尋ねた。すると、「驚いたなあ、井上成美はキリスト教徒で、若い時に洗礼を受けているそうだ…」、三男は報告してくれた。母は、「井上さんはクリスチャンですよ」と、「事もなげに言われた」との事であった。そのときの母の証言の要点は以下の通りである。
 「父(木幡 行)は兵学校在学中、横須賀の伝道団体から江田島に来ていた、日本名星田光代(本名エステラ・フィンチ―エステラは星の意)なる外人宣教師の指導によりキリスト教徒となった。井上成美も若い頃洗礼を受けているが、キリスト教徒となったのは江田島時代かその後であるか不明。おそらく同じ宣教師の指導によるものと思う。二人は青年士官時代、遊び好きの仲間と付き合わず、真面目な信徒として親しかったと聞いている。」どんな「遊び」であるか読者はお判りであろう。その「仲間」とは「付合わず」、その清潔な姿勢はその後も保ち続けられた。
 井上さんは、御嬢さんが十三歳の時に妻を亡くし、そのお嬢さんにも先立たれている。聖書の「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである。」(マタイ八・二四)の上にも線が引かれている。そして、昭和二六年の書簡に「妻の長年の病気、親子の病気の折、人知れず泣いた事が幾度あったか知れません。然し、『自分に授かった神命、自分でなくて誰に出来るか』と考えて耐えて来ました事を申し上げておきます」と井上さんは記している。
 また、昭和三十四年の三十七期クラス会回状の中に次の寄稿がある。「毎日平凡乍らみち足りた生活をして居る。最近読んだ本で私の気に入った本は、『積極的考え方の力』ですがクリスチャンでない私も面白くためになりました」と。『積極的考え方の力』は、シューラー牧師の師でもあった、ピール牧師の著書である。洗礼を受けていた井上さんが「クリスチャンでない私」という不思議な表現をしている。これを一柳氏は論文の中いつくかの証拠をあげて、こう結論付けている。井上さんは、クリスチャンではなくとも、自分は「イエスの弟子」だと認めている。「クリスチャン」というと、毎日曜、教会通いし、讃美歌を歌い、聖書を読み、祈る。しかし、それだけで真にイエスに従っていることにはならない。実生活の中で神の愛と義とを実践してこそ、真の弟子なのだ。「クリスチャン」でない井上は「イエスの弟子」である。イエスの弟子という表現はそれが「生きる道」であり脱宗教を意味する。従って、勧明寺で井上成美の葬儀が行われたとしても何ら怪む必要はない。この道ならば日本人にも進み易いであろう。井上は、キリスト教の教理を人生の指導原理とし、更に昇華して「いわゆるクリスチャン」から「イエスの弟子」に高め、多くの苦難を信仰によって堪えた。その故に鍛えられ、見事に有終の美を成して、若き日にその始をもつ信仰の生涯を貫き通したものであろう。
 戦後は横須賀でひっそりと暮らし、近所の子どもたちを集めて、英語を教えた。当時の教え子は、英語讃美歌の「What a Friend We Have in Jesus」「いつくしみふかき友なるイエスよ」を教えていただいたことを記憶して居る。井上成美自らケーキを作っての塾生のためのクリスマス・パーティーも行っている。「たった一人の生活で形はさびしい様でも心は常に豊です。六十人を越えた大ぜいの生徒達から信頼、尊敬とそして愛情を受けていると思うといつも心は温かです…。」と手紙に記している。同じ愛された生徒の一人によると、「井上先生は、しばしば神さまは、どこにいらっしゃるというのではないが、どこかにいらっしゃる。必ずみておられるから、祈りなさい。感謝しなさい。財産など残してはいけません…とよく教えて下さった」
 最後に、校長の聖書の中のぽつんと青線の引かれている一節を紹介しょう。「ああ、わたしの幼子たちよ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。(ガラテヤ四・一九)」「幼子たち」とは誰であろう。(昭和六十年二月二十八日受理)

 

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